北九州駅弁当について

  • 北九州駅弁当株式会社は、1956(昭和31)年9月に門司港駅構内営業株式会社と株式会社佳楽商店が合併してできた企業である。

    創業は、門司港構内営業が1891(明治24)年、九州鉄道の門司(現在の門司港)と高瀬(現在の玉名)間の開通と同時に石藏芳平と義兄の石田平吉と共に、当時の九州線、山陽線の鉄道敷設工事に必要とする資材の斡旋その他各般に亘って鉄道当局に協力したので、初代九州鉄道株式会社社長高橋新吉氏及び次期社長仙石貢氏に、その功績を認められ、明治24年4月1日、当時の門司駅落成にあたり許可を受け、門司駅前(現在の門司港)において門司駅構内第二待合所の一隅に茶店を新設。旅客の為の食事、飲物、菓子、果物、缶詰、新聞、雑誌等の販売に着手。

  • 一方、株式会社佳楽商店は、明治39年4月に九州鉄道株式会社の承認にて創業。

    初代松尾文太郎は、折尾、若松、博多の各駅長及び若松、熊本の各運輸事務所長を歴任した永年功績を認められ、小倉駅の構内営業の立売営業の承認を受ける。

    家業の継承としては、初代を石藏芳平、二代目を松尾文太郎と位置づける。
    九州の鉄道の歴史「ゼロ起点」とともに、明治・大正を鉄道の旅を演出する駅弁の歴史を歩み、現存する駅弁業者としては、九州で最も古い歴史をもつ。

  • 三代目は、石藏三次郎が就任。昭和17年6月より同22年まで、小倉、行橋、門司の三社合併(軍事物資調達の為、戦時統合)、北九州鉄道構内営業有限会社を設立。昭和22年まで就任する。

    太平洋戦争が勃発すると、小倉には第十二師団司令部、門司には軍の輸送拠点の軍事基地があったことから、軍弁(軍人向けの弁当)の製造に従事した。

    四代目は、北九州鉄道構内営業有限会社を石藏三次郎より継承し昭和22年より、同25年11月30日まで小松健治が就任。戦後の北九州の復興に協力する日々が続いた。

  • 五代目は、昭和25年北九州鉄道構内営業有限会社が解体後、松尾文太郎の養子、松尾政雄が株式会社佳楽商店を設立し、現在の小倉駅の営業基盤を設立する。

    六代目は、松尾政雄が昭和28年12月4日に死亡の為、遠田初太郎が翌5日より就任し、七代目、松尾サキを経て、昭和31年9月1日北九州駅弁当株式会社として門司、小倉の駅構内営業株式会社が、協議の結果、合同することとなり、当局の承認を得て新発足した。本店を小倉市室町98番地に置き、支店を門司市制免町2番地に置く。

  • 北九州駅弁当株式会社は、代表取締役社長 石藏康作 (八代目)代表取締役副社長松尾サキにて設立し誕生する。昭和44年8月より先の松尾サキ死亡につき、長男松尾定亮が代表取締役副社長に就任。

    昭和50年3月に山陽新幹線が開通。北九州駅弁当にとって大転換の時をむかえる。駅弁を買って車内で食べる必然性が薄れてきたことで、駅弁に固執せず市中の行楽や催し事にもいち早く無料配送を実施し、昭和55年には小倉井筒屋に直営店を開設、駅以外にも事業の場を広げていく。昭和62年には国鉄の民営化がおき、JRの外食事業参入となっても家業を継承できる基礎体力をこの時期に構築できたといえる。
    また、平成元年には業界初のクリーンルーム(無菌化工場)に改装し、「おいしい、健康」のテーマで時代の求めるニーズにいち早く転身する。

  • 平成7年に石藏康作勇退後、松尾定亮が代表取締役社長に就任(九代目)。平成12年9月1日より、松尾定亮の弟である中野文治が取締役社長に就任(十代目)、松尾定亮は代表取締役会長となる。平成14年9月1日より、松尾定亮の長男である松尾裕司が代表取締役社長(十一代目)に就任、「しあわせ食創り」を追求するハッピーメーカーとして現在に至る。

    現在は、駅弁事業を母体とし、市中の催事弁当料理の他、全国の有名駅弁大会や福岡ドームのホークス球団が企画した城島弁当・験担ぎ弁当などを製造し、平成12年からは地域の福祉事業として老人福祉宅配給食にも貢献。「クリーンテーブル」のセカンドネームを事業展開のキーとして、さらに、「おいしい、健康」をテーマに駅弁で培った伝統を生かして、さまざまな「食」のシーンに企業展開をめざしている。